「バッタの緊張感」

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大きな掃除の荷物を持った僕が芝生に足を踏み入れると、どこからともなく飛んで来た小さなバッタが身構え、自分に向かって来た大きな生物をいつでも避けて飛ぶぞ!とばかりに体勢をとった。バッタの方から目の前にやって来たのだが、バッタから見れば突然自分に対して向かってくる大きな脅威だった。

われわれ人間もまた、自分の居所(身の・心の・マインドの)に依っては、大きな脅威と隣り合わせともなる。

ある男は保守派のある勢力が憎くてならない。彼らは利権主義であり、嘘つきであり、強欲で、弱い人間を食い物にしているという。それは果たして本当だろうか?
見方によっては本当なのかも知れない。しかし、その様な立場・状況に安心はない。どこか先ほどのバッタと類似する点がないだろうか?
平和・安心は、世がどうであれ、この身がどうであれ、いつでも今すぐそうありたいものだ。また、そうあることが出来るのだとヨーガ(瑜伽)は云う。
世が良くなるまでは、悪がこの世から無くなるまでは、わたしにも幸せはこない、、と嘆きながらも、今すぐ幸せであれる方法を、物を、場所を、われわれは探しているのではないだろうか。もしくは悔いのない、満足の出来る自分で在ることを探しているのではないだろうか。

心の置き所を、過去の認識(サムスカーラ)を、三昧の中で洗い直す作業は、真言でも禅でもハタヨーガの延長線上にあるラージャ・ヨーガの中でも取り入れられている。

どう受け入れるか?

どう受け入れていたか?

取り方次第で未来(今)が変わるのだとヨーガは語る。

「Importance of update」

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バッタの堅実さと。

 

将英