2023年、当院所蔵の国指定重要文化財「弥勒菩薩坐像」を奉安する弥勒堂(みろくどう)が建立されました。
設計コンセプトについて
- 設計担当:MATSUDA Kimihiko Studio Inc. 松田公彦
- 公益社団法人 日本建築家協会 四国支部 主催 「第6 回 四国建築賞」大賞受賞
「大仏様(だいぶつよう)」に触発され、現代の技術・感性を活かす
建物の構成は、中央に弥勒菩薩坐像を奉安する内陣と、その両脇に4.5m×9.0mの外陣(廟所:納骨堂)を、大きな瓦屋根が覆う構成としました。坐像造立とほぼ同時代の社寺建築、構造美がそのまま意匠美となる「大仏様」に触発され、単に歴史や技術の継承のみでなく、現代の建築の感性、技術を活かし、今と調和し、未来へと受け継がれる社寺建築をめざしました。配置についても、今後の東林院の境内の在り方を見据え、種蒔大師を本尊とする大師堂への参道を軸線に、かつて茶堂があった敷地に弥勒堂を据えています。
「重要文化財の保護」と「親しみやすい宝物」の両立
坐像を安置する内陣は、重要文化財の保護を第一義とし、文化庁とも密に協議を重ねました。また「閉じて隠された宝物ではなく、より多くの人々がふいに出会える弥勒様であって欲しい・・・」という東林院の想いも反映。通常は、雨・風・光を遮る格子の雨戸に覆われていますが、祭事や特別な日に限り、すべての窓を開け放ち、内と外がつながった空間で弥勒菩薩坐像と自由に向き合うことができる、二面の両立をめざしました。
永続的な利活用を前提とした「祈りの時空」
永代供養を行う廟所(納骨堂)は、内陣の両側に配置。曼荼羅をデザインしたガラス越しに弥勒菩薩坐像を臨みつつ合掌できる静謐な空間を作りました。廟所は、24時間365日、いつでも自由に故人と向き合える運用を取り入れています。また、内陣にて弥勒様を囲んで行う「葬儀」も予定され、単なる重要文化財の安置施設ではない、永続的な利活用を前提とした「祈りの時空づくり」を心がけました。
国指定重要文化財「弥勒菩薩坐像」について
あらまし
像高96cm、檜の寄木造りで、ふくよかなお顔と優美な曲線の撫で肩、組んだ足もとに伸びる衣の繊細な表現が特徴です。今から約900年前の平安時代後期(院政期)に、京都の「円派」と呼ばれる仏師集団が彫像し、高野山の北室院に安置された後、江戸時代中期に当院へ移されました。以来300年もの月日が流れ、次第に傷みが激しくなり、1998年から2000年にかけて公益財団法人 美術院国宝修理所が京都国立博物館内 文化財保存修理所工房で修復したところ、その美術的・歴史的価値が認められ、2002年に重要文化財に指定されました。その後、当院本坊の脇の間にて仮安置していましたが、像の保存に最適かつ拝観しやすい安置方法を模索する中で、機縁に恵まれて弥勒堂建立の寄進を賜ることができました。
国指定重要文化財
「弥勒菩薩坐像」
東林院所蔵
貴重かつ不思議な仏像
この像の台座に記されていた修復記録(江戸初期)によると、「弥陀如来」とあり、少なくとも江戸初期には弥勒菩薩ではなく阿弥陀如来として奉られていたと考えられます。なぜ阿弥陀如来とされていたかは判然としませんが、阿弥陀如来の九種類ある印相(仏像の手のポーズ)のうちの「中品中生印」と同じであることが理由の一つだと考えられます。ただ、髪型が如来の特徴である螺髪(らほつ)形ではなく菩薩のものであり、如来像にはないはずの首飾りもあるので、通常の阿弥陀如来とは言えません。また、髪型や装飾が菩薩像と同じであり、かつ如来とされているのは真言宗の本尊「大日如来」となりますが、印相が中品中生印というのはあり得ません。
一方、弥勒菩薩であるとしてもこの印相のものは曼荼羅の図像に例があるだけで、彫像としてはこの一体しか確認されておらず、重要文化財に指定される際に、弥勒菩薩とすべきか不明な菩薩とすべきか議論があったそうです。しかしながら、図像に例があることと、弥勒菩薩として伝えてきた当院の想いを尊重していただき、正式に弥勒菩薩坐像と認定されました。なお、あくまで東林院の見解ですが、この仏像は真言密教の本尊である大日如来とその大日如来の一面(妙観察智[みょうかんざっち])を表す尊格であるとともに浄土教の本尊でもある阿弥陀如来、更には未来の仏である弥勒菩薩の三体を融合した仏ではないかと考えています。いずれにせよ、本当に不思議かつ貴重な仏像であり、今後の研究が待たれる文化財だとも言えます。