種蒔大師の由来

大同三年から四年(808~809年)頃、弘法大師、四国霊場御開創の為南海道を通り御巡錫の砌り、当地へ遊化し東林院に御滞在、農業奨励の為、御身自ら鍬を取り、米麦の種を蒔き、又、疫病、旱魃の為には御祈念、御祈祷ありて其の害を救い給い、又一方、民衆を集めて真言の教えを説き菩堤の善種を蒔き給う。
庶民の大師の御徳を慕う事恰も赤子の慈母に於けるが如し。茲に於いて大師、当地御出発に当たり庶民の熱望に答えて等身の尊像を彫刻し給えり。世に之を種蒔弘法大師と崇め奉り年経るままに其の霊験は広く民衆、信者の認める所なり。
近年、国の農業政策は種々変れども当地は西日本有数の農林地域にて、レンコン、甘藷、梨、米、等々、人間の生命の根本たる食糧、栄養に大いに貢献せられし事は誠に種蒔弘法大師の御徳霊験と有難く受け止め給う。

御詠歌

種蒔きし 稲穂みのりて 栄えゆく 大師の恵み 仰げもろびと

御詩歌

よい種をまこう
よい種をまけば よい花が咲き よい実がみのる
よい種をまこう
地球が花につつまれ みんなの幸せが
たくさん みのるように
よい種を もっともっとまこう
今日もあしたもまこう たくさんたくさんまこう