「擬態と塩人形の喩え」

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先日朝7時の鐘を鳴らすと、目の前で綺麗に擬態している蛾がいた。
「擬態と塩人形の喩えは似ていないだろうか?..」とふと考える。

 

「ブラフマン(宇宙の大原理)がどんなものか口では言えないのだ。

塩人形が海の深さを測りに行った。
どれほど水があるのか報告するつもりだった。

でも報告することができなかった。
海に入ったとたんに溶けてしまったから。

いったい、誰が海の深さを知らせることができるかね?」
(シュリ・ラーマクリシュナ)

 

また大師空海は自身の著作「声字実相義」のなかでこう語る

「如来の説法は、必ず文字による。

文字の所在は六塵(色声香味触法)その体なり。

六塵の本は、法仏の三密すなわちこれなり。

平等の三密は法界に遍じてしかも常恒なり」

 

世界は何を語っているのか

何を見せているのか

 

そういえばハウルの動く城でも無心無我の境地に立ち?!サリマンの魔法をかわすシーンがありました。これもまた擬態や塩人形と(表現が)似ているのではないかと当時思ったものでした。

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将英